宮沢賢治を読むとき

読書週間だから本でも読もうか、とはならない。いつも読んでいる人はいつもどおり読み、読まない人もそのとおりである。

しかしそういう、普段からほとんど本を読まない人でも、旅行のときは何かしらの一冊をかばんにいれていく。旅先のガイドブックだったり、その土地にちなんだエッセイだったり、あるいは駅の売店でひまつぶしに買った、なんということもない三文小説が旅のお供になることもある。

岩手を旅行するならどんな本がいいだろう。

何のひねりもないと思われるかもしれないが、ここはやはり、一にも二にも宮沢賢治をあげておきたい。岩手県民の精神性、というより具体的には、岩手県民のネーミングセンスを理解するのに、宮沢賢治の予備知識が求められる。それにこういう機会でもないと、いまどき宮沢賢治なんて読まないだろう。

じつは、岩手の人間だってまともに読んでいない。読んだ記憶がうっすらとある人は多いが、だいたい記憶のかなたに吹き飛んでいる。筆者のように、お手軽な「まとめ本」のたぐいで読んだ気になっている人もいる。

けっきょく、賢治と彼が遺した作品は、ぼんやりとしたひとつの概念みたいなものにまとめられていて、そこからいいとこ取りしたつぎはぎの印象だけが、私たちの背骨に染みこんでいる。それが何であるか、名前や雰囲気だけは知っているからまあいいか、という感じ。賢治のネームバリューに依存している。

みんながみんなそうとは言わないが、これが岩手の現実の一面である。存在だけがもてはやされ、真正面から作品に向き合ってきた人は少ない。

それは作品自体の難解さにも原因がある。読んですんなりわかるほど、おもしろいものでもないのが宮沢賢治だ。むずかしい漢字遣いや、イメージしにくい独特な世界観、これらをよく噛んで理解する前に飽きてしまうのかもしれない。いそがしい現代人には、童話や詩集にうつつを抜かしているだけの余裕がない。

だからこそ変化球なしで、岩手の旅に宮沢賢治をおすすめしたい。旅にあたえられたぜいたくな時間のなかで、賢治の作品にふれてほしい。たとえ理解はできなくても、「ああこういう世界なんだ」というのがわかれば、岩手のあちこちで見かけるさまざまな施設の名称や、芸術品への理解も深まる。ついでに、岩手県民の鼻を明かすこともできる。

読書週間は、毎年10月27日から11月9日までの2週間。今年は「本と旅する 本を旅する」が標語になっている。

この時期は紅葉にかさなる。落ち葉をしおりに、賢治の作品と、彼が見つめた岩手の秋を堪能したい。

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