藤沢周平から読み解く「雪あかり」

 坂を見おろしていると、そこで四年ぶりに由乃と会ったときのことが思い出された。そのとき雪に滑って、屈託なく笑った由乃の声が甦えるようだった。すると雪の坂道は、不意に寂寥に満ちた場所にみえた。胸の波立ちはおさまり、かわりに由乃の不在が、鋭く胸をしめつけてくるのを、菊四郎は感じた。
(藤沢周平『新装版 雪明かり』 講談社文庫・本文p.437より)

ここが境界線である。世間からの非難と侮蔑を甘んじて受け、血のつながりがない妹・由乃と夫婦になるのか。それともお家同士の取り決めにしたがい、許嫁(いいなずけ)との婚儀の日を待つのか。どんな時代であろうと、人生はいろんな方法で決断をせまる。

藤沢周平の時代小説『雪明かり』は、表題作「雪明かり」をふくめた全八篇の短編集である。ユキアカリ、と聞けば、ここ西和賀町の人びとは黙ってはおれないだろう。しかしこの作品におけるユキアカリは、西和賀町湯田地区が発祥とされている冬の風物詩「雪あかり」とは、指している内容がちがう。であるからには、表記も「雪明かり」と「雪あかり」とであらかじめ区別しておきたい。

もともと「雪明かり」とは、積もった雪が月光や街灯を反射して白く浮き立ち、それによって、夜でも周囲がほのかに明るく見えることを指した言葉らしい。あらためて辞書を引いて理解した。一方で「雪あかり」は固有名詞である。くりぬいた雪のなかにろうそくを灯し、冬の夜を飾る。

本作におけるユキアカリは意味的には「雪明かり」だが、タイトルの隠喩を解釈するのには、どちらのユキアカリを想定してもちがいはない。それを踏まえたうえでページをめくってみよう。さらりと描かれた冬の情景をバックに、登場人物たちの繊細な息づかいが聞こえてくる。

主人公は、そのむかし実家の古谷家から芳賀家の養子になった、菊四郎という名の武士。雪の降る夕暮れどきに町を歩いていた彼は、積もった雪を払おうとして傾けた傘の先端が、やわらかく重いものに触れたのに気付く。人にぶつけたらしい。そう思って傘をあげると、そこに立っていたのは四年ぶりの再会となる妹・由乃であった。

彼女は、実家の父の後妻が連れてきた娘で、妹とはいうものの、菊四郎と血のつながりはない。訳あってしばらく会えずにいたが、大人になった由乃は美しかった。

菊四郎は人づてに、彼女が近く嫁にいくという話を聞いていた。だが、縁談が決まっているのは菊四郎とて同じこと、互いになにか感じるものがありながらも、ふたりはそれぞれの結婚を祝い、その場を別れる。

慎ましく働き者の由乃は、嫁ぎ先でも気に入られるだろう。菊四郎は安心していたが、嫁入り後、どうもその由乃が、大病をして寝込んでいるらしいとの噂がたつ。心配になって駆けつけた菊四郎は、そこで、汚物にまみれ、骨と皮だけになって床に伏している由乃のすがたを見るのだった。

これが物語の前半である。菊四郎の思い出のなかにある、慎ましくて清純で、美しい由乃のイメージは、真冬の夜に静かな光を放つ雪あかりのイメージに重なる。ろうそくの光はいのちの光にもたとえられるが、それは、風に吹かれればふっと消えてしまうようなやわらかな炎の輪郭に、人の心の揺らぎやまばたきの表情を、切ないほど見出してしまうからであろう。

兄・菊四郎に救い出されたのち、体調も回復して茶屋勤めをはじめた由乃だったが、やがて自分の存在が菊四郎の立場を危うくしていると知った彼女は、ある日突然に町を出ていく。行き先は江戸。実家の母には、菊四郎がたずねてきたら渡すようにと、所書きを残していた。

菊四郎には分かっている。由乃は遠くから菊四郎を呼んでいる。そして菊四郎も、由乃と生きるよりほかに道はないと思っている。あとはひと息に、跳んでしまえばいい。

しかし、跳んだ先に地面はないということもやはり分かっていた。形式を重んじる武家社会において、これがどれほど不名誉なことか。跳べば、由乃もろとも裂け目に落ちる。不遇の世界を生きていかねばならない。

潔さこそ武士の心という。未練は、その潔さの対極にあって人を苦しめる。だが、運命が手を差しのべているときにその手をつかめないとしたら、それこそ武士の名折れではないのか。

物語の最後、逡巡の末に、菊四郎は雪明かりの道を一歩踏み出す。この決意のあとに内心からこぼれたひと言が、なんともあざやかに読者の胸を打つ。ぜひ自分の目で読んで、香り立つ藤沢文学の余韻に浸ってほしい。

「雪あかり2014 in にしわが」は、2月8日(土)の夕方5時半からはじまり、そこから約2時間半にわたって、町内各所にろうそくが灯される。藤沢周平の作品を読んだあとでは、雪あかりの小さな光がいっそう美しく、儚げに感じられるだろう。

菊四郎にとっての由乃がそうであったように、どんなに暗く、寒々とした道の上にも明かりは灯るのだということ。それっぽっちの光でも、生きる希望をつなぐに足るのだということ。社会の中心から遠くはなれたこの雪国で、物思いにふけりたい夜である。

 

(本記事で取り上げた藤沢周平の短篇小説集『雪明かり』は、山人館内の図書コーナーに置いてあります。お部屋への貸し出しもできますので、フロントスタッフまでお声がけください。)

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