『雪わたり』の教え

雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たいなめらかな青い石の板でできているらしいのです。
「堅かた雪ゆきかんこ、しみ雪しんこ。」
・・・(中略)・・・
こんな面白い日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです。
(宮沢賢治『雪わたり』本文より)

宮沢賢治は作家ではなく教師として生計を立てていたが、その短い生涯を通して、ただ一度だけ原稿料をもらったことがある。それがこの『雪わたり』だといわれている。

ある日のこと、雪の野原であそんでいた四郎とかん子の兄妹のもとに、紺三郎という名の一匹のキツネがあらわれる。はじめふたりは、紺三郎を警戒する。人間の世界では、キツネは悪名高い動物として知られていたからだ。彼らがつくる団子はウサギの糞だとまで言われていた。

紺三郎は、その悪評は誤解であるということをここぞとばかりに説明する。そしてキツネについてもっと知ってもらうため、彼ら兄妹をキツネ小学校の幻燈会に招待するのだった。「幻燈会にはきっといらっしゃい。この次の雪の凍った月夜の晩です。八時からはじめますから、入場券をあげて置きましょう」。

春は暖気と寒気をくりかえしながら少しずつやってくるが、一日のなかでも、太陽が出るのとそうでないのとでは差が大きい。日中のあたたかい日差しが雪の表面を溶かせば、溶かされた水分が今度は夜の冷え込みで凍り付く。宮沢賢治が書いたような“大理石よりも堅く”まではならないにせよ、翌朝には、見事にかためられた雪の新大陸ができあがる。

こういう雪を堅雪とか凍み雪とかいって、その雪の上を歩くことを「雪わたり」と表現する。朝、気温が上昇し、太陽が雪を溶かしだすまでのわずかな時間の楽しみである。大人げなく時間をわすれて、四郎とかん子のように、どこまでも歩いて行きたくなる。いつもなら「おや、キツネかな」ぐらいでやめてしまう足跡の観察も、堅雪の日には、足跡を追って森の中へ入りたくなる。

四郎とかん子が招かれた幻燈会は、人間やキツネの大人がいかにだらしないかを教える絵図の上映会である。そこでふたりは、キツネがつくった団子を食べ、人間のウソを知った。団子はほっぺが落ちるほどおいしかった。誤解が解けたキツネたちは大喜び、物語は大団円をむかえる。

「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」とはいうが、ものごとの真実は歴史の定説や噂のなかにあらず、仮説を検証し、みずから確かめてみることだけが、真実を手にするただひとつの方法なのだということを、この童話は教えてくれる。そしてまた、ことわざに言う“賢者”よりも、“愚者”とされる者たちのほうが、最後にはより多くの友人を得られるのだということも。

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