春の下ごしらえ

18時からはじまる夕食に向けての打ち合わせが終わると、スタッフのひとりが外套を羽織って食事処の外にでる。中庭の雪あかりを点灯するためである。真冬には夕方5時ともあれば真っ暗だったのが、いまの時期になると、5時でもずいぶん明るい。

「日が長くなりましたね」

スタッフ同士でそんな会話がささやかれるようになり、いよいよ冬が明ける、という気持ちになる。

日中の晴れ間もふえてきた。雪かきで身体を動かしている身にとっては、すこし強いくらいの日差しである。屋根の雪はじわじわ解かされ、軒下に落ちていく。

凍っていた川の水面も、音を立てて動きはじめる。セッケイカワゲラが川岸を闊歩し、春の兆しを感じさせる。道路のアスファルトも顔を出す。3月になれば、あとは雪崩に気をつけながら、静かに雪解けを待つのみである。

そうして、スコップやダンプをかついで雪かきをする機会がへると、雪との別れが急に惜しくなってくる。なんだかんだで、西和賀を西和賀たらしめている季節が終わろうというのである。

子供のころだって冬の終わりは寂しく感じたものだ。西和賀では、子供は「風の子」ではなく「雪の子」といってもいいほど、雪に育てられた人が多い。その自覚があるものだから、大人になったいまでも、雪解けが近づくにつれてなんとなく寂しく、そわそわした気分になる。もっと見ておくべきだった。もっと触れておくべきだった。もっと楽しむべきだった。やり残したことや、やっておくべきことがほかにあるんじゃないか。もっと、もっと……。

後悔先に立たず、日差しに背中を押されるようにして、私たちはまたひとつ季節を越え、あたらしい節目に立つ。承知のとおり、落ち着かない気持ちになるのは冬が終わってしまうからではない。入れ替わりで春がやってくるからだ。春は変化の季節。青葉が芽吹き、つぼみが花を咲かせ、動物たちは冬眠から目を覚ます。人も似たようなものであろう。

変わっていくことと、変わらないこととのあいだでバランスをとるのはむずかしい。そんななかでも、人は人、自分は自分で咲いていくことを静かに決意する心の強さをもちたい。

春がくる前に。春がきたら。いまは、だれもがそんなことを考えながら、自分を見つめ直しているのかもしれない。

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